マンゴー産直
マンゴー産直平山マンゴー園
 鹿児島県頴娃町から完熟採れたての
  おいしいマンゴーを全国へお届けいたします

 自己紹介

はじめまして。平山マンゴー園の平山 伸です。1962年 東京で生まれ、神奈川県で育ちました。
小学5年生から3年間、サウジアラビアで暮らしましたが、、日本人学校が無かったため、
アメリカンスクールに通い、英語での生活を体験しました。

帰国後は、英語が得意であったことが幸いし、順調に高校、大学へと進みました。
大学では経済学を専攻し、卒業後は、バブルに突入中であった金融業界へ踏み出しました。

入社した証券会社では、英語の試験により、一年目より本社の国際部門へ配属となりました。
当時、バブルへとひた走る日本へは海外から金融機関がぞくぞくと進出しており、
英語ができることは大きな武器でした。株式の販売から運用の世界へ。
2年目にして外資系の保険会社の運用部門へと最初の転職をしました。

保険会社でもラッキーなことに、ニューヨーク本社への転勤も経験し、2年間の米国生活で
さび付きかけていた英語をブラシアップすることができました。
帰国後は社内の体制がすっかり変わっており、「浦島太郎」状態。2年ほど干されました。

ブームになりつつあった、年金を運用する外資系投資顧問会社のオファーを受け、2度目の転職。
その後は高い年棒が出るところへと2年周期で転職を繰り返し、98年最後の転職で
5社目となりました。

98年には結婚約6年目で初めての子供が生まれ、これが最後と高い年棒とポジションを
オファーしていた会社への転職を決めていましたが、契約を交わす日に自分の中の
バブルがはじけた気がします。突然、会社を辞めました。

子供が生まれ、享楽的な生き方を改め、無性に「ものつくり」がしてみたかった。
地に足のついた仕事をしてみたいと、無謀にも当時田舎暮らしが盛んであった、
九州へ旅行をかねて移住できるところは無いかと家族3人でやってきたのが、
99年10月のことでした。生まれて初めての鹿児島へやってきたのもその時でした。

初訪問の鹿児島は強烈なインパクトを与えてくれました。
初めて鹿児島に来てから3ヶ月で家から車まで処分し、親子3人で薩摩半島の南端
頴娃町へ移住して来ました。

一人だった息子も今では3人目。決して楽な生活ではないし、
農業一本で生活できる水準にも達してはいません。
都会では経験できない家族との濃密な時間、そして仕事からのストレスを
感じない今の生活は、サラリーマンに戻ることなどできない満足を与えてくれます。

昼間はマンゴー栽培。そして午後は学生時代にたっぷり経験した学習塾の経営。
晴耕雨読ならぬ、明耕暗読。新しい農業の形を目指し、がんばっております。



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〒891-0702 鹿児島県南九州市頴娃町牧之内2183-2
TEL/FAX 0993−36−3235


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